- 石井久
- 糸山英太郎
- 今井雅人
- 岩本栄之助
- ウィリアム・エックハート
- ウィリアム・オニール
- ウォール街
- ウォーレン・バフェット
- ウィリアム・シャープ
- クロード・ローゼンバーグJr.
- ゲイリー・スミス
- 是川銀蔵
- 近藤信男
- 酒匂隆雄
- ジェシー・リバモア
- ジョージ・ソロス
- ジム・ロジャーズ
- ジョン・テンプルトン
- スチュアート・ウォールトン
- スティーブ・レスカルボー
- スティーブ・ワトソン
- 隅田浩
- 竹田和平
- 田中平八
- 中山茂(チャーリー中山)
- 野村徳七
- ピーター・リンチ
- ピーター・バーンスタイン
- 藤巻健史
- フィリップ・フィッシャー
- ブルース・コフナー
- ベンジャミン・グレアム
- ヘンリー・ダン
- 本多静六
- 本間宗久
- マーク・ミネルヴィニ
- マイケル・ルーカス
- 松井房吉
- 山崎種二
- ラリー・ウィリアムズ
- リチャード・デニス
石井久
立花証券の父として知られ「最後の相場師」と呼ばれる。
清水一行の作品、経済小説『大物』のモデル。
平成元年の高額納税者番付2位の富豪。
「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」:スターリン暴落・バブル崩壊を予言した。
どんな商売でも、創業者は人並み外れた才覚と努力で成功を勝ち取った人であり、その子供が二代続けて創業者と同等かそれ以上の資質を持っている確率は皆無に等しい。
糸山英太郎
世界85位、日本4位の富豪。
「政界の暴れん坊」と呼ばれる。
JAL特別顧問。資産5390億円。
近藤信男と中山鋼の仕手戦を繰り広げた。
カネ儲けに終わりはない。なぜならば、カネは己を飛躍成長させる「原資」となるからだ。
今井雅人
心理学などを駆使した独自の手法で17年間1年もマイナスなく勝ちつづけた。
通称「マット今井」
グローバルインフォ株式会社代表取締役会長。
2004年までUFJ銀行の為替部門統括次長兼チーフディーラー。
株式会社マットキャピタルマネージメント代表取締役社長。
2009年衆院選に当選、民主党所属の衆議院議。
目先の損得に一喜一憂する人は、外貨投資に限らず相場そのものに向いていません。投資の場合、我を忘れてしまうと冷静な判断ができず大きな失敗をしてしまいます。
岩本栄之助
大阪市中央公会堂誕生のために莫大な私財を投じた人物。
「義侠の相場師」「北浜の風雲児」と呼ばれた株式仲介人。
明治40年の株式大暴落時は、全財産で株式市場を買い支え、他の株式仲介人達を救った。
株式投資はすべて結果論
ウィリアム・エックハート
リチャード・デニスとトレーダー養成学校「タートル」を設立。
「タートルズ」は驚異的なパフォーマンスを出し、4年半で1億5000万ドルの利益をあげたとされる。
自身も年間収益率60%を誇る「実践的数学者」
生き残れる投資家は「一度のトレードの失敗が精神を不安定にしてしまい失敗を重ねてしまう」というような雪だるま現象を避ける。また、負けることの痛みを理解している。もし負けの痛みが分からなければ神経麻痺になった人と同じなんだ。
ウィリアム・オニール
1958年にヘイドン・ストーン・アンド・カンパニーという証券会社に就職して、金融業会でのスタートをきった。 ウィリアム・オニールの投資法は当初から目財ましい成果をあげた。
1962~63年、3銘柄で構成される異例の組み合わせで利益をあげ、当初5000ドルだった資金を20万ドルに増やした。
株式投資で得た利益によって、30歳でニューヨーク証券取引所の会員権を取得し、機関投資家を対象にしたリサーチ専門の投資調査会社ウィリアム・オニール・アンド・カンパニーを設立。
保有資産が2億ドルを超えるミューチュアルファンドを設立したほか、「ウォールストリート・ジャーナル」紙を急速に追い上げるライバル紙「インベスターズ・ビジネス・デイリー」の創設者。
確実にみじめな結果となるのは、株価が下がっていく途中で買うことだ。
ウォール街
世界の金融センター「ウォール街」。
ニューヨーク証券取引所をはじめ、米国の金融史とゆかりのある地区。米国の金融業界や証券市場を指す比喩としても用いられる。
売り買いは3日待て
ウォーレン・バフェット
バークシャー・ハサウェイの会長、CEO。
世界で最も成功した投資家の1人。
2019年5月4日時点における純資産は899億ドルで、ジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツに続いて世界で3番目の富豪。
地元ネブラスカ州オマハを中心とした生活を送っているため、「オマハの賢人」とも呼ばれている。
私は株を買う理由を1ページ書き続けられないなら買わない。間違っているかもしれないが、私はいつも理由を把握している。
ウィリアム・シャープ
資本資産価格モデル(CAPM)の創案者で、’90年に金融資産の価格形成理論への貢献によりノーベル経済学賞を受賞。
1970〜89年、’95〜99年スタンフォード大学金融学教授。’99年より同大名誉教授。
’86〜92年アセット・アロケーションを専門とするシャープ・アソシエイツ社の会長兼社長も務めた。
’80年米国金融協会会長。
CAPMは本来、市場の非効率さを否定するものではないのです。ただ、リターンをもたらすリスクというのは、裏返せば、市場全体がひどい時には悪い結果をもたらすリスクだと言ってるだけなのです。それが基本的な考え方なのです。
クロード・ローゼンバーグJr.
おそらく私がこれまで見てきた最悪の失敗例の一つは、将来性のある株を、ただ「少々割高だ」という理由で売ってしまうことだ。それより安い値段は二度と現れないかもしれず、期待していた成功の期待をみすみす逃すことになってしまう。
ゲイリー・スミス
勝ち残るトレーダーのほとんどに共通して見られる特長は、情熱と狂気のような集中力である。情熱と狂気のような集中力を持ってトレーディングするということは、トレーディングを人生で最も大切なものとして扱うことを意味する。
是川銀蔵
個人としては数百億円の株取引に成功し「最後の相場師」と呼ばれる。
1976年 日本セメント
1979年 同和鉱業
1981年 住友金属鉱山
1982年 不二家
1983年の丸善石油、平和不動産
などの株買い占め、仕手戦で名が知られた。
株式投資ならば相手は不特定多数だし、一人で勝負ができる。思惑が成功しても失敗しても自分の責任の範囲だ。それにいくら儲けようと誰にも恨まれることはない。
近藤信男
近藤紡績所社長。資産2000億円。
糸山英太郎と中山鋼の仕手戦を繰り広げ、大量のカラ売りで40億円の損失を出したとされる。
この時の仕手戦をテーマとした書籍「怪物商法」が糸山英太郎によって書かれる。
俺は相場師だ。相場に生き、相場に死ぬ。相場いがいのことに手をだすのは、すべて邪道だ。
酒匂隆雄
通称「業界の貴公子」
酒匂エフエックス・アドバイザリー有限会社代表。
株式会社メイタン・トラディション特別顧問。
テレビ東京「ワールド・ビジネス・サテライト」のコメンテイターなど出演多数。
FXとは誰かが儲かったら必ず誰かが損をするゼロサム・ゲームではないのである。もしかしたら、多くの人が利益を上げるか、反対に多くの人が損をするかも知れない。
ジェシー・リバモア
「伝説の投機王」「ウォール街のグレート・ベア」などと称された相場師。
スキャルピングから投資を始め、ブラックマンデーの大暴落で1億ドル以上の利益を得る。
一生遊んで暮らせるほどのお金を稼いだにも関わらず勝負を続け、計4回破産。
情報はすべて危険である。情報はあらゆる形態を装い、採用をもちかける。自分の知る世界に専念せよ。投機家の最大の敵は自分の中にいる。人間の本性として、人は希望と恐れとは無縁ではいられない。相場に勝つ必要はない、勝つべき相手は自分自身である。
ジョージ・ソロス
グローバル・マクロと呼ぶ手法を中心に、大規模なヘッジファンド運用で財をなした著投資家。
冒険家としても有名なジム・ロジャーズと共に1973年から運用を開始したクォンタム・ファンドは10年間で40倍以上に価格上昇した。
1992年には当時割高とされていた英ポンドに目をつけ、100億ドルに上る大掛かりなポンド売りをしかけたことで、ポンドが急落。
英国中央銀行は利上げやポンド買い支えなどの通貨防衛策をとったが、ポンドは下げ止まらず、英国はERM(欧州為替相場メカニズム)を脱退、変動相場制への移行に追い込まれたことから、「イングランド銀行を負かした男」としてその名を世界にとどろかせた。
日米間の為替相場と通貨供給量の比率には相関があるとする「ソロスチャート」の考案者でもある。
「市場は常に間違っている」というのは私の強い信念である。
ジム・ロジャーズ
ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスと並び「世界3大投資家」と称されるジム・ロジャーズ。
ソロスと設立した「クォンタム・ファンド」は、10年で2400パーセントという驚異のリターンを出す。
ウォーレン・バフェット
ジョージ・ソロス
大儲けをするためには、絶望が支配している間に足を踏み入れなければだめだ。
ジョン・テンプルトン
最も賢明で高く評価された投資家の一人として知られ、「グローバル投資の長」「歴史上、最も成功したマネーマネージャーの一人」「20世紀最高のストックピッカー(銘柄選択者)」と呼ばれる人物。
50年以上にわたり第一線で活躍し、市場平均を上回る運用成果を上げ続けたバリュー投資のカリスマ。
1912年にアメリカ生まれ、エール大学、オックスフォード大学で法律を学び、大学卒業後は証券会社を経て、1940年投資カウンセラーとして独立、1954年にファンドを設立。
ほとんどの投資家は「トレンド」や「短期的見通し」を重視しすぎる。だからこそ「その銘柄が本来持っている価値」を見極めなければならない。
スチュアート・ウォールトン
「すでに買われている優良銘柄」買いで、年複利平均115%
成功するトレーダーの条件とは、感情を押し殺すことができて、よく働き、規律を守れる人たちが成功しているようです。私自身の成功の条件としては直感に対する確信、その確信を瞬時に行動に移せる能力の二つが重要だと考えています。
スティーブ・レスカルボー
私が笑ったのは、株式市場を予測しようとしている人がいるってことです。彼らにはわかりっこないでしょう。誰にもわかるはずありません。株式市場で今後何が起こるかなんて、予想できる人はいないと思っています。
スティーブ・ワトソン
投資に感情は禁物です。感情が入ると選択を誤ります。損失を恐れないこと。この株式投資ビジネスで成功しているのは、お金を失う事をいとわない人たちです。
隅田浩
ヘッジファンド:レジェンダ・インベスティメント(シンガポール)を立ち上げた。
日経平均先物の売買高シェアが大きく、カリヨン証券(インドスエズ証券)を通して売買することから、「インド」或いは「ヨン様」と呼ばれる。
とれるリスクや損失など、自分で一定のルールを持って投資するほうがいい。他人のせいにしていては市場では一生勝てない。
竹田和平
「和製ウォーレン・バフェット」と呼ばれる人物。
竹田製菓の会長。
100社以上の上場企業の個人大株主。
所有株式の時価総額は100億円以上。
あまり儲けられない人が勘違いする点なのですけど。夢を見て投資をしてはいけないのですよ。
田中平八
幕末、明治の実業家、相場師。
横浜で糸屋平八商店を営み、生糸・洋銀などの相場で財を成し、「糸屋の平八」「天下の糸平」と呼ばれた。
1878年、渋沢喜作を発起人として、兜町に東京株式取引所を設立し大株主となり、「兜町の飛び将軍」と呼ばれた。
1883年、東京米商会所(東京穀物商品取引所)の初代頭取に就任。
剣を取っての栄達は難しいから俺はソロバンをもって立つ。
中山茂(チャーリー中山)
東京市場で「勝率8割の男」と呼ばた。
通称「チャーリー中山」
アキ投資顧問の堀内社長とともに80年代の東京外為市場で著名な為替ディーラー。
2006年までシンガポールを拠点に自主ファンドを運用するリンクス経営最高責任者、2007年からはTCAインベストメントファンド代表取締役社長。
小説「東京外為市場25時」のモデル。
為替市場でのファンダメンタルズは唯一経常収支だけ。
野村徳七
野村財閥の創始者。
父 野村徳七(初代)の両替商「野村商店」を引き継いで公債や株式を扱い、日露戦争、第一次世界大戦の相場で莫大な利益を得て、野村財閥を築き上げた。
株は高く買って安く売れ。
ピーター・リンチ
全米NO.1ファンドマネジャーといわれた株式投資界の伝説の人物。
アメリカの株式市場が不況に吹き荒れていた1977年から1990年の13年間で、2000万ドルだったマゼラン・ファンドを140億ドルのファンドに育て上げた。
下落している株を底値で拾おうというのは、落ちてくるナイフを素手でつかむようなものである。ナイフが地面に突きささり、しばらく揺れ動いた後、しっかり止まってからつかむのが、正しいやり方である。
ピーター・バーンスタイン
1940年ハーバード大学卒業。
ニューヨーク連銀、ニューヨーク共同銀行などを経て投資顧問会社バーンスタイン・マコーレーに勤務、65年同社代表。
73年ピーター・L・バーンスタイン社を起こし、コンサルティング活動を続ける。
1974年から『ジャーナル・オブ・ポートフォリオ・マネジメント』誌を創刊。
金融経済学と現代ポートフォリオ理論を投資実務の世界に導入し、『証券投資の思想革命』『リスク』『ゴールド』など多くの著作がある。
「成長株」という概念は実際のところ無意味だ。所詮、成長株というものは結果でしか確認されない。要するにこれまで上がった株のことなのだ。
藤巻健史
1985年に米銀のモルガン銀行に転職。
同行で資金為替部長、東京支店長などを歴任、東京市場屈指のディーラーとして世界に名を轟かせ、 JPモルガンの会長から「伝説のディーラー」と称された。
2000年、モルガン銀行を退社後、世界的投資家ジョージ・ソロスのアドバイザーも務めた。
動かす金を持っていない今は、誰も聞いてくれない。世の中、口じゃ動かない。世の中、金で動くのだ。
フィリップ・フィッシャー
史上最も影響力のある投資家。
アメリカの大投資家バフェットの師。
1928年から証券分析の仕事を始め、1931年にフィッシャー・アンド・カンパニーを創業。
現代投資理論を確立した1人。
動かす金を持っていない今は、誰も聞いてくれない。世の中、口じゃ動かない。世の中、金で動くのだ。
ブルース・コフナー
近年のヘッジファンドマネージャーの収益ランキングで、多く上位入りしている。
- 1993年 5位
- 1995年 10位
- 1996年 13位
- 1998年 27位
- 2005年 7位
彼の設立したキャクストンは評価額120億ドル、年平均リターン21%を記録。
自身の資産は53億ドル。
トレードをするにあたっての第一の原則は、自分で理解できないうちに損を出してしまうような状況を作ってはいけない。
ベンジャミン・グレアム
米国の経済学者。バリュー投資理論の考案者。
「投資家の父」「ウォール・ストリートの最長老」と呼ばる。
ウォーレン・バフェットの師。
バフェットはコロンビア大学でのグレアムの教え子の中で唯一A+をもらった生徒である。
個人投資家にできないことはプロのゲームでプロに勝つこと。自分のゲームで自分にコントロールできることで勝てば良いのだ。
ヘンリー・ダン
世の中では市場予測を当てることが証券投資で成功する秘訣だと広く信じられている。しかしそれは根も葉もない誤りだ。こうした誤解からいかに身をかわすかが今後の資産運用にとってもっとも大切なことである。
本多静六
明治から昭和にかけて学者や造園家として活躍した、日本の林学博士、造園家、株式投資家。
日本の「公園の父」といわれる。
「月給4分の1天引き貯金」を投資に回し、貧乏生活から出発して巨額の資産を築いた。
大学定年退官と同時に全財産を寄付。
好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。
本間宗久
酒田五法、ローソク足の考案者。
酒田・大坂・江戸での米の商いで巨万の富を得た。
彼の考案した手法が、株式相場や商品先物相場で相場の指標を求める手段として、現在に至るまで世界中で基本となっている。
「休まないトレーダーは損を出す」
「相場での仕掛け時は一年に数回しかない」
マーク・ミネルヴィニ
6年で3万6000%のリターン、年平均リターン220%。
USインベスティング・チャンピオンシップを155%のリターンで優勝。
ミネルヴィニ・プライベート・アクセスの創設者。
うまくやるためには技術と強みを持つ必要があるけど、さらに重要なのがマネー・マネジメント(資金管理)です。重要なのは損失管理なんです。優秀なトレーダーたちは損失管理をやっている。利益のことは心配していませんよ。守りが固ければ負けることはない。
マイケル・ルーカス
もしポジションに対して自信が持てなくなって、どうしたらよいかわからなくなったら、すぐに手仕舞うべきだよ。いつだってまたポジションは取れるんだからね。迷ったら手仕舞うんだ。
松井房吉
松井商店(現在の松井証券)の創業者。
「売りの房吉」と呼ばれ、第一次世界大戦後、1920年3月15日の大暴落で、富を築いた。
「もう」は「まだ」なり、「まだ」は「もう」なり。
山崎種二
売りを強みとして相場を制したことから、「売りの山種」と呼ばれる。
東京穀物商品取引所の初代理事長。
山種証券株式会社(SMBC日興証券株式会社)、山種物産株式会社(株式会社アサヒトラスト)、株式会社ヤマタネの創業者。
大回り三年、小回り三ヶ月。
休むも相場。
ラリー・ウィリアムズ
トレーダー、マネーマネジャーであり、執筆のほか、世界中で講演・セミナーを行っている。
先物のロビンズ・ワールドカップ・チャンピオンシップにおいて、12カ月以内に1万ドルを110万ドルにした。
全米先物協会の委員を務め、モンタナ州から2度上院議員に出馬。
金融紙に数多く取り上げられ、過去25年で最も注目されているトレーダー。
くどいようだが、資金管理に関しては可能な限り学ぶべきである。
リチャード・デニス
ウィリアム・エックハートとトレーダー養成学校「タートル」を設立。
「タートルズ」は驚異的なパフォーマンスを出し、4年半で1億5000万ドルの利益をあげたとされる。
1995年、108%、1996年に112%の利益を上げ、”Futures and Options World Magazine”における、ファンドマネジャーランキングで4位を獲得した。
彼ら(ダメなトレーダー)ができないのは、どんな悪い状況でも自信を持ってトレード・ルールに従ってやることだ。